【再掲載】経済ナショナリズムの復興 私の経済思想の原点

はじめに
そもそも全世界で一般に成り立つ経済体制はあり得るのか?
資本主義と社会主義のような大雑把な分け方でよいのだろうか?
国の数だけ経済体制があってよいのではないか?
筆者は常々このような疑問を抱き続けてきた。

資本主義があって、社会主義があり、混合経済がうまれ、冷戦崩壊により、新自由主義に移行、この金融危機で新自由主義は終焉を迎えるようになり、社会民主主義が主流派になりつつある。

しかしながら、資本主義と社会主義の間を行ったり来たりするだけのシーソーゲームをしているだけなのである。資本主義側にいけば格差が生まれ、社会主義側にいけば財政赤字が累積する。どちらも欠点があるのである。

もうこのシーソーゲームを止めたら良いと思う。
 その国家ごとの伝統、歴史、国柄、慣習、習俗、宗教、文化、国民性(民族性)に根ざした経済体制を構築するのが経済的繁栄を享受するのに最も有効なのではないか?

日本国にとって一番望ましい経済体制を構築し、安全安心で活力があり、格差少なく、品格ある国家にすべきである。

そのためには経済ナショナリズムという概念を理解して、日本にとって一番望ましい経済政策を実行すべきなのではないだろうか?

この記事では主流派経済学(いわゆる近代経済学)との比較により経済ナショナリズムの優位さを証明し、主流派経済学の誤りを余すところなく指摘していきたいと思う。

筆者は、この経済ナショナリズムという概念を国家指導者や政策決定者が常識として保持すべき経済思想としての側面が強いものであると考えている。
第一章 経済ナショナリズムとは?
 第一節 主流派経済学の誤り
 現在の世界中の大学(もちろん筆者の出身大学でも)で教えられている主流派経済学(新古典派とか近代経済学とも呼ばれる)はいかにして主流派になったのだろうか?
 経済学史的観点から述べれば、アダム・スミスの『諸国民の富』によって示された経済自由主義が源流であることはもはや疑いの余地はないだろうと思われる。
 そして、経済自由主義がリカードやセイにより緻密化され、古典派が確立することになる。
 その後に、レオン・ワルサス、カール・メンガー、アルフレッド・マーシャルなどによる「限界効用」や「一般均衡」などの「限界革命」により現在の新古典派経済学が確立したのである。
 
 主流派経済学はあらゆる経済現象を自己利益の最大化を合理的に追求する個人が存在し、「財が同質で、多数の需要者と供給者が居て、情報が完全で、参入退出の自由がある」という「完全競争市場」が存在するという前提(仮定)で説明しようとする。
 そして、主流派経済学の目的は最適な資源配分を市場において達成することであり、政府の市場に対する介入については、上手く資源配分している時は自由放任(政府は市場に介入しない)で、自由市場に必要な一定の条件が満たされない場合、資源の配分が達成されないという「市場の失敗」の場合にのみ、それを是正するためにのみ政府の介入行動を正当化するのである。
 
国際貿易については「比較優位の原理」を中心的概念と位置づけ、国際分業によって経済効率が高まるので、自由貿易が望ましいとの結論が導かれる。(実はこの結論は近年の研究でかなり怪しいものであると分かっている)

しかしながら、筆者のような「経済ナショナリスト」はこの主流派経済学に対して違和感を覚えるのである。
よって経済ナショナリズムとは主流派経済学に対する反逆の思想であると言えるであろう。
まず、そもそもの前提条件が現実と凄まじく乖離している。自己利益の最大化を合理的に追求する個人なんて存在するのだろうか? 人はお金ためだけに生きるのではないし、完全に自己中心的ではない。

具体的に述べれば、人はなぜ家族を扶養するのであろうか? それは妻(夫)や子供や親に対する愛があるからである。完全に自己中心的であれば、自分のためだけにお金を使いたいから家族を扶養なんてしないはずである。
人はなぜ働くのか? それは自分が帰属している共同体や組織のためだったり、社会的評価を受けたいからだったり、勤労こそが人生において大切な価値であると考えているからであったり、仕事それ自体が生きがいだったりするからである。
人は決して金銭だけが目的で働いたりはしないのである。

いわゆる「完全競争市場」の前提なんて現実にはあり得ない。企業が工業製品を開発する時に考慮するのは「他企業の製品とどう差別化するのか? 」ということである。
また、独占市場だったり、寡占市場だったり、需要者側が単体であることもある(兵器を調達するときの政府など)し、情報が完全に知り得ている状況など皆無に等しいし、参入障壁が構築されている場合も多いではないか。

経済学においてはある前提を置いて演繹法による理論体系が組まれるが、その前提が間違っているので、現実の経済現象を説明することができないのである。

例えば、我々日本国民は土用の丑の日にウナギを食すが、主流派の教義だけでは、土用の丑の日だけウナギの需要が著しく上昇することを説明できない。
本当に合理的な人間だったらわざわざ特定の日にウナギを食そうとは思わないはずである。

主流派経済学は現実にはあり得ない前提を基盤とし、経済現象を単純化して考えればある一つの結論が導出されるという非現実的な机上の空論であることが多いのである。

経済ナショナリズムとは現実のありのままを観察し、認識し、抽象的な机上の空論を徹底的に退け、日常生活に蓄積された実践や経験そして歴史の叡智を尊重する態度なのである。

しかも、主流派経済学は、国家ごとに違った経済政策の処方箋を描こうとはしない。つまり、全く異なる国で同じ経済政策を実行することを主張するのだ。

国家ごとの、伝統、歴史、国柄、宗教、慣習、制度、文化、国民性(民族性)を全く考慮しないのである。
これは、間違っていると断言せざるを得ない。
そのような経済政策を実行したのが小泉純一郎と竹中平蔵である。米国経済のようになるために日本の構造を変革して、格差拡大などの弊害を多く残したのである。

経済は社会のさまざまな要因の影響を受けるが、以下に具体的に記述する。
伝統 日本と米国を例に出せば、日本には皇室が存在するが、米国は共和制である。やはり、日本国民として天皇陛下の存在は極めて大きいのである。
欧州でも王室が存在する国とそうでない国では全く違うであろう。このようなことを全く考慮しないのは間違いである。

なぜ、日本国民は皇室カレンダーを購入するのであろうか? なぜ、日本国民は一般参賀のために東京に集まるのであろうか?

歴史 その国家の歴史的背景を考慮しなければならない。歴史的背景とはその国家の成立過程にどのような歴史的出来事があったのかどうなのかである。
日本のように、天皇を中心としたほぼ単一民族国家なのか、米国のように移民を絶えず受け入れてきた国家なのか、朝鮮半島やドイツのように東西もしくは南北に分断された国家なのかというのは極めて重要である。

国柄 国家が志向する大切なもののことである。フランスでは自国文化にこだわりをみせ、他国の文化を排斥することも多々ある。その国家ならではの特性と言い換えてもいいと思う。

宗教 その国家によって生活に根付いている宗教が違う。インドであれば主にヒンズー教、中東諸国ではイスラム教、イスラエルだったらユダヤ教、米国ならばキリスト教、タイならば仏教などである。
経済活動や経済政策を考える時は宗教に注意しなければならない。インドに「牛丼」市場はほぼ皆無であり、イスラム諸国では「豚の生姜焼き定食」市場はないのである。

日本は宗教に対してとても寛容である。しかし、日本の大半の人間が「無宗教」であるという「特定の宗教の教義や神などを信仰してはいない」状態である。
よって日本人は無神論者というわけではない。
慣習 その国家の商慣習、行動慣習、いわゆる「暗黙のルール」を考慮しなければならない。日本での企業と金融機関での長期取引や、中国での賄賂などである。

制度 その国家の憲法、法律、規則、製品の規格、行政組織、産業組織の独特な制度を考慮しなければならない。

文化 食文化、文学、映画、絵画、建築、音楽、ファッション、生活様式などを考慮しなければならない。日本で韓国料理として犬肉を出してはならない。イギリス人に「海の幸たっぷり」と言って、蟹を出しても無意味なのである。

国民性 その国家を構成する国民に特性を考慮しなければならない。勤勉で慎ましく貯蓄率が高く温厚で真面目な日本人が米国人のように振る舞うことは不可能に近い。
ということは、経済行動などにもその国民性は顕著に表れてくる。

第二節 経済ナショナリズムに対する誤解
 一般的に抱かれる経済ナショナリズムを書き出してみよう。経済ナショナリズムは常に経済自由主義との対比で考えられてきた。

 経済自由主義の関心ごとは世界経済の効率を上げること、経済厚生を増大させ、資源を効率的に配分することである。また、政府は自由市場に委ねていくべきであり、政府の介入は最小限であるべきと考える。

 国際貿易に関する基本原理は「比較優位」という考え方である。これは、自国ですべてを生産するよりも各国が相対的に得意とするものに特化して生産し、残りは輸入にした方が、世界全体の効率が高くなるというものである。
 例えば、日本は自動車を生産するのが得意で、中国が繊維製品を生産するのが相対的に得意だった場合(もちろん絶対的な生産量だけならどちらも日本が上回るとする)には、日本は自動車の生産に特化し、中国は繊維製品に特化して、貿易を行い、繊維製品と自動車を交換すれば、両国の経済効率が高まるということである。

 経済自由主義はこの「比較優位」の原理から、保護貿易や政府の介入を排除した自由貿易を主張し、自由貿易は各国に互恵的な利益をもたらすと固く信じている。

 一方で経済ナショナリズムは、経済の秩序を維持し、発展させるために国家権力は必要不可欠であると考える。
 経済発展には政府の積極的な役割が必要であり、そのために用いられる手段が保護貿易と産業育成政策(注:筆者は好んで「産業育成政策」と表記するが、これは経済学で言うところの産業政策とほぼ同義である)なのである。
 また、経済ナショナリストは国家が戦略的に重要な産業や先端技術にターゲットを絞り、振興しなければならないとする。自由貿易や自由放任(レッセ・フェール)に任しているだけでは、戦略的に必要な産業や技術を獲得できないと考える。
 
経済ナショナリストは経済自由主義者の主張する世界経済の厚生や効率性などには、ほとんど関心がない。経済ナショナリストにとってはどうやって自国の政治力と経済力を強くするかが重要なのである。

 加えて、経済ナショナリストは国際経済を各国に互恵的な利益をもたらす平和的な関係とは考えていない。国家間の経済資源獲得戦争の場であるとしている。国際経済の参加を嫌い、自足自給国家(アウタルキー)国家を理想とするのである。

 これが一般的な(?)経済ナショナリズムと言われてきたものの大雑把なイメージである。

 このように経済ナショナリストは、経済に対する国家の介入を重視している。また、自国の政治力と経済力の強化を主たる目的としているこというのも正しい。
 しかしながら、このイメージには重大な欠陥が2点ある。
 
 その第一点は「ネイション」と「ステイト」が区別されていないという点である。なぜならば、「ナショナリズム」とは読んで字の如く「ステイト」ではなく「ネイション」に対する忠誠心であり、「経済ナショナリズム」とはあくまでナショナリズムの一形態だからである。
 「ネイション」とは、歴史的記憶、公的文化、言語、領土、伝統といったものを共有することによって統合されている一種の共同体(ネイションとは様々な定義がなされるが、この論文では中野剛志氏の定義を基準とする)と定義される。
 「ネイション」の訳語はなかなか難しいが「国民」が一番近いであろう。

 対して、「ステイト」とは、政治的な制度あるいは組織である。「ステイト」の訳語は、「国家」が適当であろう。「ステイト」は、強制力、法の支配、権威といった様々なものによって人民を統合する。
 経済ナショナリズムとは、経済領域における「ナショナリズム」なので、国家の利益ではなく、国民の利益をどうするかを考えることなのである。
 ただし、「経済ナショナリスト」は「ステイト」を無視するのではなく、重要なものであると考える。なぜならば、国民の利益を増大させるための経済政策を策定し、実行する主要な主体は「ステイト」だからである。

 わかりやすく言えば、「経済ナショナリスト」は特定の個人、団体、勢力のためだけになるような経済政策を主張したりはしない。あくまでも国民(ネイション)の全体の利益になるような経済政策を主張するのである。
 したがって、「経済ナショナリズムは国家主義である」という批判は成り立たない。

 第二点目の欠陥は、「経済ナショナリズム」は保護貿易と産業育成政策を主張し、自由貿易でもたらされる便益を否定しているという認識である。
 
 結論から言えば、「経済ナショナリスト」は自由主義的な政策から、社会主義的な政策まで、自国に有利であれば(自国の国力増強に役立つのであれば)あらゆる政策を採用する可能性がある。

 かつての通産省がそうであった。幼稚産業保護を鮮明に打ち出し、国際競争力が充実してきたら、段階的に自由化していったのである。

 また、米国も他の先進諸国に市場開放を厳しく要求したことがある。それは、米国自身の輸出産業の利益を増やしたいからである。グローバリゼーションという名のアメリカン経済ナショナリズムであったのである。

 第三節 経済ナショナリズムの特徴
 1、経済ナショナリズムは経済システムの多様性、自国の保有する産業の多様性を尊重する。
 2、経済ナショナリズムは国家防衛政策を重視する。
3、経済ナショナリズムは、社会保障の充実と格差是正に親和性を持つ。

 箇条書きにしてみたが、一番から順に説明していきたいと思う。
 まず、経済ナショナリズムは経済システムの多様性を尊重するのである。資本主義といっても、その国家ごとの特徴が多々あるのだが、そのあるがまま認めていこうというのである。

 親米派エコノミストは「アメリカ経済が好調だから、日本的経営や日本型資本主義から脱却して、アメリカ型になるべきだ」という意見に強硬に反対するのが経済ナショナリズムである。日本の国情に絶対に合わないのである。

 また、経済ナショナリズムは「産業は多種多様であるべきである」という考えである。
ある生産物を製造することができないとなると外国からの輸入に依存しなければならないからである。

 ある発展途上国において農産物の生産だけでGDPが決定されていたとすると、天候不順で農作物が大打撃を受けてしまった場合やその農産物の価格が大幅に下落してしまった場合にGDPが崩壊してしまう
 つまり、ある産業だけに特化してしまうのは大変危険なことなのである。例えるならば、ある個人の保有するお金をベンチャー企業一社の株に集中投資するようなものである。
 経済ナショナリストは以上の理由から、自由貿易理論における「産業間の特化」に反対する。「産業間の特化」とは優位のない産業がまるごと消滅するような特化のことである。

 日本は自動車を生産するのが得意で、中国が繊維製品を生産するのが得意だった場合には、日本は自動車の生産に特化し、中国は繊維製品に特化することになるが、そうなると日本の繊維産業が丸ごと消滅してしまう。

 その場合、衰退する繊維産業に従事していた労働者は、成長する自動車産業が吸収すればいいのだと経済学者や経済官僚は安易に考える。
 しかし、現実の社会では、ある産業に従事する労働者がまったく別の産業に転職することは容易ではない。産業構造の転換調整には時間がかかる。その間、衰退産業の労働者の生活は脅かされるものなのである。
 このような「産業間の特化」では比較優位にない産業は著しい不利益をこうむることになるため、国内経済が分裂し、社会は不安定になってしまう。
 そのために、国は繊維産業の失業対策や雇用調整、ほかの産業への転換の促進といった膨大な調整コストを支払うことになるのである。

 しかし、特化には「産業内の特化」というものが存在する。これは、ある産業に属する個々の企業が製造する製品の範囲を絞り込むことである。
 例えば、日本の繊維企業は高機能性材料、高級品あるいは製品デザインといった高付加価値製品に特化し、他方、タオルなどの低付加価値商品については中国の繊維企業に任せてしまうのである。
 この場合、日本の繊維企業は完全に消滅することなく、中国の繊維企業と役割分担しながら、しぶとく生き残るのである。

 このような「産業内の特化」は一産業がまるごと消滅してしまうよりかは、国内社会の調整コストははるかに軽微なものになる。

 次に、経済ナショナリズムは国家防衛政策を重視する点について述べていきたい。
そもそも経済活動や国民生活は国家防衛という基盤の上に成り立つものなのである。
 
他国による武力攻撃の最中に安心して、買い物ができるだろうか? レジャースポーツができるだろうか? アニメやマンガを鑑賞することができるだろうか? 企業活動ができるだろうか?

 また、軍事力の源泉は経済力である。よって経済ナショナリズムにおいては軍事力と経済力は相互に強化しあう関係であると見なすのである。

 他国による軍事占領が成功してしまったら、自国の国民のための経済政策を策定し、実行することが不可能になってしまう。自国経済が他国のための奴隷経済になってしまうことに経済ナショナリストは憤るのである。

 第三に、経済ナショナリズムは、社会保障の充実と格差是正に親和性を持つのである。
経済ナショナリストは社会保障を国民の怠惰を誘発する麻薬とは考えないのである。なぜならば、しっかりとした社会保障体制が自国に構築されている場合に失敗を恐れずにリスクを取った挑戦的経済活動ができるのである。
 それは、国民経済の活性化および国力の増強に寄与する。

 例えば、失業対策や雇用対策が存在するから果敢に大事業に取り組めるし、老後の福祉、医療、年金が整っているから安心して現役時代に消費できるし、こどもを産み、育てることに対する助成が存在するから安心して子供を出産養育できるのである。

 ここで述べておきたいことは、国民国家において社会保障体制の整備にはナショナリズムが必要不可欠なのである。
 なぜならば、仮にナショナリズムが全くない完全に自己中心的な経済人が存在するとしたら、大部分が「なぜ私の納めた税金を投入してまで社会的弱者、高齢者、子供などを助けなければならぬのか? 」と不満を漏らし、社会保障の充実や整備を主張する政治家が選挙で落選してしまう。

 社会保障体制の構築や整備には同じ国民に対する惻隠の情が無ければならず、その源泉はナショナリズムなのである。
 中野剛志氏の著作に「経済騎士道」という言葉が出てくるのだが、我々日本国民は「経済武士道」を身につけなければならない。(詳細は参考文献を読みこんでほしい)

 第四節 経済ナショナリストの政府観
 主流派経済学においての「政府」に関する論争でいつも出現するのは、『大きな政府(福祉国家)』『小さな政府(夜警国家)』どちらが望ましいのか? という政府の大きさの問題なのである。

 しかし、経済ナショナリズムにおいて重要視するのは《どのような性質を持った政府が望ましいのか? 》という問題である。
 結論から言えば、『賢明で活動的な政府』が経済ナショナリズム的観点からいって最適な政府の在りようなのである。(注:筆者の政府観は『その国家の地政学的条件、状況、規模、局面から鑑みて適正規模の賢明で活動的な政府』である。しかしながら、丁寧に説明すると大変な字数になるので省略する)

 政府は賢明でなければならぬのである。なぜならば、重要な政策を策定し、実行する主体である政府が、無駄な政策、不必要な政策、民間の活力を奪い取る政策、国民国家を滅亡に追い詰める政策等を実行してしまっては長期的経済発展ができず、それどころか国民分裂・国家壊滅を招くからである。

 政府が賢明であるためには「中間組織」を多分に含んだ市民社会が形成されていなければならない。中間組織とは国家と個人の間に存在する共同体や社会集団のことである。具体的には、家族、地域社会、協同組合、産業組織、社交クラブ、政治団体といったものが挙げられる。

 個人の持つ意思やナショナリズムは感情的で粗雑である場合が多いのだが、それらが「中間組織」を通じて理性的で洗練された意思やナショナリズムに変化し、国家に到達するのである。

 「中間組織」とは過激で粗暴なナショナリズムを健全で賢明なナショナリズムにする一種のフィルターであり、政府の賢明な判断に必要不可欠なのである。

 経済ナショナリストは愚かな政府を認めたりはしないのである。経済ナショナリストは国民国家に忠誠を誓うが、反体制的な考えを持つこともある。

 政府は活動的でなければならない。国力の増強を常に志向し、格差是正に真剣に取り組む勤勉で粘り強い政府が好ましいのである。
 もし仮に、活動的でない怠慢な政府が存在するとしよう。その場合には政府に産業特有の事情、環境、技術、問題などに対する「実践的知識」が蓄積されないので、適切な介入行動を採用することができなくなるのである。

 さらに付言しておきたいのは、実社会において経済政策などは「実際にやってみないと効果のほどはわからない」ということが多々ある。したがって、十分にその政策に対する批判や意見に耳を傾けながら漸進的に実行し、様々な問題点を浮き彫りにし、修正していくということを繰り返すことが「活動的である」と言える。

 また、政府は「活動的な」介入行動や情報収集などにより「実践的知識」を蓄積していかなければならない宿命を背負った政策実行体とも言える。

「活動的だから賢明になれる。賢明だから活動的になれる」という良循環を作り出さねばならない。

第二章 日本が採用すべき国力増強政策
第一節 財政金融政策 
 日本が今陥っている不況を克服するためには赤字国債を財源とする財政出動政策と積極果敢な金融緩和政策(日本銀行による買いオペ)が必要である。
 公共・社会インフラの整備と民間投資の促進が求められている。デフレ脱却をするにはこの「二本の柱」が求められている。
第二節 産業育成政策
 経済ナショナリストは重視するのは、防衛産業育成政策である。安全保障や国土保全といった政治的あるいは社会的な目的も含めた経済政策を策定し、実行するのである。
 日本では防衛産業に対する積極的な財政出動である[軍事ケインズ主義]が発動されてはいないのである。
 経済ナショナリストである筆者としては政府首脳陣を叱りつけてやりたい。国防の重要性がまるでわかっていないのである。
 軍事以外でも、日本の国力増強に寄与する産業が存在するのであれば、官民協調体制で積極的に産業振興を推し進めていけばよい。
第三節 技術政策
 日本のような小資源国家にとって技術とは極めて重要なのである。技術進歩は国民国家の安全と独立に不可欠であり、技術そのものは軍事力の強化と経済発展に寄与する。
 国家政策や国民経済の制度、社会は技術進歩の方向性、速度、パターンを決めるのに大きな役割を果たすのである。
 小資源国の日本において省エネ技術がものすごく発達するのは、そうせざるを得ない環境がそうさせるのである。

 また、技術などは国民国家による振興政策がなければ有効に開発、革新、進歩しない場合があるので、政府が介入行動を採用すべきなのである。

 民主党の「事業仕訳」によるスーパーコンピューターやGXロケットの予算削減を実行したが、とんでもないことだ。

第四節 エネルギー政策と環境政策
 日本は小資源国家なのであるからして、資源の獲得競争に負けてはならない。しかもエネルギーが供給されなくなると国民生活に深刻な打撃になるのである。
 よって、資源購入企業などは国有化される傾向がみられる。しかもその企業はナショナルシンボルとなりやすい。

 事業の重要性から私企業に任せることはできないという経済ナショナリズムを原動力とした政府の介入行動が求められる。

 もし、一民間企業が資源の購入や調達に失敗してしまったら、他国の強力な国有企業との競争に敗れてしまうことになったら、その影響が国民すべてに及ぶかもしれない。

第五節 貿易保護政策
 自国の国際競争能力が極めて脆弱であった場合に外国の優れた製品によって自国の産業が殲滅してしまうことを防ぐために、保護主義の発動もやむを得ない。関税率の上昇、輸入量の制限などで日本の雇用や産業を守り育んでいくべきなのである。

第六節 社会福祉政策
 日本は構造改革の名の下に社会保障費の削減に努力してきたのだが、それはもう限界に来ているのである。
 よって、社会保障費を思い切って増大させた方がよい。
 しかし、日本の社会保障となると高齢者の医療福祉介護という話になりやすい(高齢者に対する配慮は重要であることを承知の上であえて述べる)のだが、筆者は子供に対する社会保障体制の充実を主張する。
 保育園の充実、子供手当、小児科の拡充、教育費の減免、産婦人科の拡充などに対して積極的な「未来への投資」を主張する。

おわりに
経済ナショナリズムについて理解することはとても困難なことであった。
しかしながら、筆者なりには簡単に書いたつもりである。
 この論文を読んでくれた人が筆者を危険人物扱いしないことをただひたすらに望み、
終わりとしたい。

参考文献

中野剛志『国力論』以文社、2008年
中野剛志『経済はナショナリズムで動く』PHP研究所、2008年

再掲載になりましたが、経済ナショナリズムを少しでも理解できたという人はクリックお願いします。


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プロフィール

uematu tubasa

Author:uematu tubasa
平成生まれの尊皇攘夷派で、某国立大学の経済学部出身の
uematu tubasaと申します。

基本情報技術者、電子書籍作家。

失業と低所得と借金に負けない!
私は戦う、この残酷な世界で!

北朝鮮の核実験がきっかけで政治に興味を持った若者です。
『消費税廃止への進撃』
『ビジネスの種を蒔け』
『究極の空き家対策』
『家賃半額』を出版しました。
『雇用、所得、物価の一般理論(仮)』
『我が国日本の海洋戦略(仮)』
『日銀は錬金術師(仮)』
『ケインズは二度死ぬ(仮)』
『なぜバターがスーパーから消えたのか(仮)』
『住宅資産倍増計画(仮)』
『天皇器官説(仮)』
『移民拒絶論(仮)』
『人口補完計画(仮)』
『地政学の強化書(仮)』を出版する予定です。

日本核武装論の出版が中期的目標です。

核武装推進論者、ネオクラシカルリアリスト(新古典派現実主義者)、地政学を国立大学の必須履修科目にするべきと考えています。

自主憲法制定論者(現行憲法破棄、大日本帝国憲法改正)、女系天皇公認論者、暫定的な保護貿易協定推進論者、消費税廃止論者、経済ナショナリスト、公的家賃補助導入論者、対米自立論者、日米同盟堅持論者、反特定亜細亜、移民拒絶論者。

すべての売国法案に反対しております。

基本的には政策論を中心に書いております。
ご意見ご感想をよろしくお願い致します。

好きな漫画:ゴーマニズム宣言、金色のガッシュ、3月のライオン、進撃の巨人、もやしもん、ダイヤのエース、黒子のバスケ、銀の匙、鋼の錬金術師、ハイキュー!! アルスラーン戦記

好きなPCゲーム:泣きゲー全般(主にKey作品)

好きな食べ物:そば、寿司、天ぷら、おにぎり、トマト、ピザ、パスタ、ソーセージ、ポトフ、フィッシュ&チップス、ペペロンチーノ、フライドポテト。

好きな飲み物:緑茶、麦茶、カシスオレンジ、果実系ジュース、CCレモン、日本酒

好きな女性のタイプ:明るくて家庭的な日本人女性

趣味:読書(核戦略、地政学、国際政治学、経済学など)とジョギング(1日往復10kmを週に2日ぐらい)

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